殻破りの喫茶店へ
ようこそ
-前章- 殻
人は、殻をかぶって生きている。
ヤドカリのように、自分の身を守るための殻。
でも、生まれた瞬間からかぶっていたわけではなかったね。
「常識はこうだから」
「今の自分の考えは一般的ではないから」
「こういう考えを持っている自分は、受け入れられないから」
生まれて、歩いて、世間という見えない檻に生きるキミたちが
”一般的”といったものに合わせるためにまとった殻。
でもそれは、”本来のキミ”が好きだったものを覆い隠す毒のようなものだ。
自分に嘘をつき続けられるほど、人は強くない。
自分に嘘をつき続けることほど、キミ自身を辛くさせるものはない。
ここは、殻破りの喫茶店。
嘘をつき続ける自分に疲れた人だけが入れる、秘密の喫茶店。
さあ、本来のキミを取り戻すための、極上のティータイムを贈ろう。
–1 嘘つき--
ーーきれいで可愛いものが好きだった。
風にゆられる度に、一瞬だけ花びらのようなフォルムになるスカート。
同じクラスの女子がつけていた、花や星が散っているバレッタ。
可愛いものを身につけて、微笑んでいる子を見るのが好きだった。
自分も「こういうの可愛いよね」と、同じ輪に入って笑い合うのを何度妄想しただろう。
いつか自分も、ああいう可愛いものを身につけて、街を歩いてみたかった。
でも、僕は男だからーー
「優(すぐる)〜」
帰り支度をしている僕にかかる声。
顔を上げると、サッカーボールを持っている大樹(たいき)と隼人(はやと)がいた。
「お前今日予定ないだろ? 校庭でサッカーやろうぜ!」
確かに今日は予定はない。
でも、帰って姉さんのアクセサリーづくりを見ようと思っててーー
そう声に出そうとした瞬間、代わりに出た言葉は、「うん、やろう!」だった。
2人と一緒に、校庭に出ていく。
サッカーはできる。嫌いじゃない。
でも、好きでもない。
男の子がするスポーツだからやっているだけ。
僕は男だから、そういう男の子が好きなものができていないとダメだと思っているだけ。
でも、本当はーー
「じゃあな、優! また明日もサッカーやろうぜ」
白い学生シャツを砂埃まみれにした大樹が、手を振って言ってくれた。
隼人も「また明日」と手を振っているのが見える。
「そうだね! また明日!」
心に変な軋みを感じながら、笑顔で応えて家路を歩く。
中学校から家までにある、商店街を1人で入ってしばらくすると、
ハンドメイドアクセサリー店が目に入った。
紫陽花をモチーフにしたピアスに、緑色に透き通る石を使った指輪。
どれもきれいで、かわいくて思わず手に取りたくなってくる。
でも、僕は男だからーー
お店から離れようとして、窓ガラスに反射した自分と目が合う。
短く刈り上げた黒い髪に、中学校の制服。
サッカーボールのキーホルダーをつけた学生鞄。
同じクラスの男子の間で流行っているスニーカー。
全部全部、「男」であることを意識して選んだ。
でも、本当はこういう格好は好きじゃなくて……。
「嘘つき」という言葉が、口から滑り落ちた。
僕は、僕だってーー
「花の香りーー」
下を向いていた僕の鼻に、かすかに残る花の香り。
それは、小さな路地の向こうから流れてきているように感じて
自然と足が動いていった。
–2 紫陽花に囲まれた喫茶店--
いつもこの商店街を歩いているけど、こんな道があったんだ。
「あれは、喫茶店?」
小道を抜けた先に見えたのは、紫陽花に囲まれた古びた喫茶店だった。
外壁は所々、色がはげているように見えるし、植物の蔓だって絡まっている。
でも、色とりどりの紫陽花が咲いていて、とてもきれいな空間だった。
廃墟かなと思っていたけど、煙突らしきところから煙がたちのぼっていた。
まるで引き寄せられるように、僕はその扉に手をかけて店内に入る。
「うわぁ」
中に入った僕は、思わず歓声を上げた。
店内は外観とはまるで違った印象を受けるほどに、きれいで整っていたから。
商店街でみたアクセサリーや可愛く装飾された手鏡。
姉さんが使っているようなコスメがいろんなところに展示されていた。
どれも可愛くて可愛くて、思わず手に取って眺めている自分がいた。
「おや、これは珍しい」
そうやっていると、奥から低いトーンの声が近づいてきた。
一瞬で青ざめる顔。
やばい、男なのにアクセサリーを手に持っている姿を見られてしまった。
ーー馬鹿にされる!!
ぎゅっと目を瞑る僕に届いたのは
「いらっしゃいませ、お客様。 ようこそ、Shellへ」
という言葉だった。
思わず、顔を上げて声の主を見る。
白いシャツに黒いベストを着た、痩身の男性がそこにいた。
身長は180cmに届くくらいで、黒縁メガネがとても似合っている。
胸元にピンクの花をあしらったワッペンをつけているのが、印象的だった。
男の人なのに、ピンクのアクセサリーをつけてる……。
「え、と」
どう返事をしたらいいかわからない僕に、男性はふっと微笑んだ。
自然とこちらの力が抜けるような、優しい微笑みだった。
「突然お声がけをしてしまい申し訳ありません。
私は当喫茶店の店主の、梅宮かずきと申します。
せっかくいらしたのですから、ぜひ当店自慢の紅茶を飲んでいってください。
お代は結構ですので」
店内を見渡す仕草をし、続ける。
「お客様は、おしゃれがわかる方みたいですので、ぜひ用意をしている間は店内を見学されてください。お試し品は自由に使っていただいてもよろしいので」
思わず顔を上げる。
なんで、僕がおしゃれがわかるって思ったのか分からなかった。
「……僕は、男だからそんなの分かりません」
そう口に出したけど、店内から出るという選択は取れなかった。
なぜか、店主が出す紅茶を飲みたいと思ってしまったんだ。
僕のそんな様子を知ってか知らずか、また微笑む店主の梅宮さん。
「では、準備ができましたらお呼びするので
ごゆっくり店内をご覧ください」
そう言って、カウンター裏の出入り口に消えていった。
椅子に座って待とうとも思ったけどダメだった。
可愛くてふわふわしているものがたくさんあって、
どうしても見たり触ったりしたくなっていた。
いつもなら抑えられる衝動を、ここにきてから抑えられなくなっている自分が不思議だた。
でも、抑えられない自分が心地よかった。
初めに手に取ったのは、口紅だった。
キャップを外してみると、アプリコットの色をした口紅だった。
「きれい……」
胸が高鳴って、ワクワクしている自分がいる。
これを自分の唇に塗ったら、どんな色に変わるんだろう?
近くにあった鏡に自分を映して、口紅をそっと塗ってみる。
少しだけ血色の悪かった唇が、一瞬で華やいだ。
アプリコットの色に染まった唇は、僕の肌の色に絶妙にマッチしていた。
ーーなんで嬉しく思っちゃうの?
「よく似合っておいでですよ」
いつの間にか戻ってきた梅宮さんに、そう声をかけられた瞬間
抑えてきたものが決壊してしまった。
「お、お客様?」
少し慌てている梅宮さんの声。
それもそうだろう。
さっきまで口紅に夢中になっていた僕の目から、ボロボロと大粒の涙が散っているのだから。
「どうされたんですか? 何か気に障るようなことを言ってしまいましたか?」
落ち着かせようとしてくれているのか、僕の背中を優しくさすってくれている。
その手の暖かさがどうしてか心地よくて、余計涙が止まらなくなった。
今まで抑え込んでいた気持ちが、口から出てしまうくらい心地よかったんだ。
「……どうして、嬉しいって思っちゃうの?」
「え?」
僕の口から出た言葉に、梅宮さんの手が止まる。
「普通の男の子は、口紅なんか塗らないし、花柄の可愛いアクセサリーなんか興味持たない。
サッカーしたり野球したり、戦隊モノのヒーローに憧れたりするんだ。
少なくとも僕の友達は、みんなそうだった。
でも……、だけど……」
泣きすぎて、おかしくなる呼吸を落ち着かせて言葉を続ける。
「僕は、男の子が好きなものを好きになれない。
姉さんが作る可愛いアクセサリーを見るのが好きだし、メイクをしてみたいって思っちゃう!
なんで、僕は男なのに女の子のものが好きなの!」
今まで心に溜め込んでいた思いが止まらない。
「僕だって、好きなものを好きってちゃんと言いたいよ……。
もう、家族にも友達にも嘘をつきたくないよ……。
ありのままの自分に……なりたいよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら出た言葉は、
僕がずっと思っていたことだった。
いつもなら、こんなこと言葉に出なかったのにーー
ここに来てから、ずっと覆い隠してきたものが
重かったものがどんどん剥がれていっている気がする。
しばらくの沈黙の後、ポンと肩に置かれる手。
くしゃくしゃになった顔を上げると、柔らかく微笑む梅宮さんがいてーー
「キミ、名前は?」
今までと少し違った雰囲気を出す彼に戸惑いつつも、答える。
「……優。橘 優(たちばな すぐる)です。」
「そうか、優くんか。そんなキミに質問だ」
人差し指を立て、右目をウィンクしながら
「スカートって、元々は男性も履いていた服だって知ってたかい?」
と言ったんだ。
「え!」
僕の声が、店内に響き渡った。
–3 性差とは--
ーースカートって、元々は男性も履いていた服だって知ってたかい?
梅宮さんの口から、衝撃的な言葉をもらって数分後。
とりあえず、顔を拭くように言われて、僕は梅宮さんと対面するように
カウンターに座っていた。
擦ってしまった目を冷やすために、濡れた手ぬぐいを渡してくれる梅宮さん。
「さっき、スカートは男性も履いていたって、どういうことですか?」
その手ぬぐいを目に押し当てながら、僕は彼に問いかけた。
「スカートの起源は、古代エジプトまで遡ると言われていてね。
今とは違って、手拭いのような腰布で布そのものを結んで履くような、とても簡素なものだったんだ」
紅茶を温め直しながら、梅宮さんは言葉を続ける。
「スカートは通気性に優れているから、夏でも快適に過ごせる。
それに、脚の可動域を上げることから、乗馬や戦闘にも優れていたのが理由って言われていてねーー」
一呼吸おいて、続ける。
「ズボンが発明されたことによって、男性の多くがスカートからズボンを履くようになって、スカート=女性が履くものというイメージが確立されたってだけなんだ」
ーー初めて知った。
スカートは女の人が履くものだとばかり思っていたけど、最初は違ったんだ。
「それに、女性が履くハイヒールだって、昔は男性が履く靴だったしね」
びっくりして手ぬぐいが手から飛んでいった。
「え! ハイヒールって踵が高い女性の靴? 男性用の靴だったの!」
思わず大声が出る僕に、梅宮さんが微笑んだ。
この人の前だと、なんでか素直になってしまうーー
「そうそう。元々は乗馬をして弓を引く男性が、体勢を整えるために開発されたのがハイヒールという靴。それが時代の流れによって、女性が履く靴と捉えられるようになった」
「へ〜」
テーブルに落とした手ぬぐいを再度濡らしてくれる梅宮さんの言葉は、
今までの考えを新しくするくらい衝撃的だった。
「それに、お化粧だって、昔は身を守る呪いのために男性も女性もしていたんだ」
「…………」
知らなかった世界が、どんどんひらけていく。
今まで女性のものと思っていたものが、男性も使っていたと知って
なぜか心が軽くなっている自分に気づく。
「性別とかは大事なものだけど、同時にその人の一部分でしかない」
「ーー!」
弾かれたように顔を上げた僕と、梅宮さんの目があった。
「初めてスカートやハイヒールを履いた人も、今日のキミみたいに口紅を塗った人も」
今まで靄がかかっていた視界がーー
「これは男性のものだからとか、女性のものだからと区別していたわけじゃない」
この喫茶店に入ってからどんどんクリアになってきてーー
「その人がそうしたいとか、いいと思っていたから使っていたにすぎないんだよ」
どんどん心が軽くなっている自分が、不思議と心地よかった。
「さっき優くんは、男なのに綺麗になるのが嬉しいと思うの?と嘆いていたけど
そうじゃない」
これだけはちゃんと言おうと思ったのか、今まで以上に僕の目を見てくれる梅宮さん。
「優くんだから、嬉しいって思ったんだよ」
「……っ」
「性別という括りは、確かに大事だ。その人を示す1つの指標でもあるからね。
でも、スカートやハイヒールのように時代の流れによって、変化していっていいものなんだ。
だからさーー」
今までで、一番優しい笑顔で続ける。
「優くんは、優くんの”好き”を好きなままでいいんだ。
”オレ”は好きを一生懸命生きているキミをしっかり見たいと、そう思っている」
「〜〜〜〜っ!!」
–4. 好きを生きること--
我慢ができなかった。
ボロボロと涙が溢れて溢れて仕方なくてーー
カウンター越しに、肩に添えてくれる梅宮さんの手が暖かかった。
「……ずっと怖かったんだ。
普通でない自分が、好きを表に出して嫌われることが。
一人ぼっちに……なってしまうこともーーっ。
でも、でも、もう自分の”好き”に嘘をつき続けるのは、限界で……」
「ーーだから、キミはここに来れたんだよ」
「ーーえ?」
ーーどういうことなの?
「ここはさ、なりたい自分になれなかったり、
誰にも言えない苦悩を抱えている人にしか辿り着けない喫茶店なんだ」
「え!」
ーーだから、いつも通っているのに気づかなかったの?
「で、この内装もその人が抱えている悩みとか
本当に好きだと思っているものを表すように変化する」
ハッとして、店内を見回す僕。
確かに、僕が商店街で手に取ろうとしていたアクセサリーが置いてあるし、
いつも姉さんが塗っている口紅も置いてある。
ここは、僕が今まで綺麗とか可愛いと思っていても
押し殺してきたものたちで溢れていたんだ。
「だから、僕はキミに最初に言ったんだ。”おしゃれがわかる人”だってね」
確かに言っていた。
それは、この内装を見て思ってくれていたんだ。
「こんなに素敵な空間を作れるキミは、きっと誰よりもそういうものに憧れているし
それを面に出したいと願っているってそう思っていた」
「……」
「だから、今キミがキミの好きを通したいと思えるようになってくれて嬉しいし、
性別という曖昧なもので、押し殺してほしくないとも願っている」
「ーー梅宮さん」
「確かに、男性であるキミが好きを貫こうとすると遠ざかる人も出てくると思う。
今まで遊んでくれた友達だって、離れてしまう可能性だってある。
心無い意見で傷を負うことだってあるかもしれない」
「……。うん、今までそれが怖かったんだ」
僕の言葉に頷く梅宮さん。
「オレもその気持ちは分かる。好きなものを否定されるのは苦しいことも。
でも、自分の好きをずっと自分で否定し続けることほど、辛いことはないんだよ」
「ーー!!」
確かにそうだった。
僕は僕の好きを否定して、嘘をつき続けることが辛かった。
どうしようもなく胸が軋んで、痛かったんだ。
「周りの価値観や一般論に人は合わせがちだけど、それはその人を縛る殻でしかない。
その殻は別にかぶらなくていい。自分を苦しめる殻なんて破ってしまえばいい」
「うん」
ーー僕もそう思う。
「それに、世間っていうのは広い。キミが好きだと思うものを否定せず、受け入れてくれる人は必ずいる。
ーー全ての人に受け入れられなくても、たった1人に受け入れてくれるなら、誰だって好きを続けられるんだ」
「……」
「今は怖いかもしれない。でも、覚えていてほしい。
キミが好きだと思うものを、思いっきり楽しんでほしいと願う人間が
キミの目の前にいるということを」
ーーありがとう。
そう言おうとしたけど、ダメだった。
嬉しくて、嬉しくて仕方なくて、涙が止まらなかった。
もう僕は、1人じゃない。
僕は僕の”好きなこと”をちゃんと生きていいし、生きたい。
ーーこの日が、僕のスタートラインなんだ。
–後章.それから–
「ありがとうございました〜!」
そう元気にお辞儀をするお客さんに手を振って応える。
「またいらしてくださいね〜」
お客さんに手を振るたびに、サンゴで作ったピアスが揺れる。
「いや〜、今日も最高でしたね」
お客さんが帰ったのを見届けて、スタッフの子が近づいてきた。
「あのお客さん、本当にきれいになってましたね。
さっすが、その人の好きを華麗に引き出す優さんだ!」
ブンブンと握り拳を上下させるスタッフを見て、口角が上がる私。
「そんなにおだてても、何も出ないよ」
「もう、おだててないんですってば」
プリプリと怒る姿が可愛くて、クスッと笑ってしまう。
「わかってるよ。素直に言ってくれてありがとう」
あの喫茶店での出来事から、10年ーー
好きを前面に出すこと覚悟ができた私は、家族や友達に包み隠さず話して
今までの在り方を変えた。
姉さんが使っているコスメを使わせてもらったり、
ネイルを教えてもらったり、今まで我慢していた好きを楽しんだ。
ーー好きを隠さないでいられる日が、こんなに楽しいって思えるなんて。
離れていく友達もいたし、私の好きを奪おうとしてくる人もいた。
でも、あの時肯定してくれた梅宮さんが、心の支えになってくれた。
そして、姉さんの前面的な協力も大きな心の支えだった。
「私、正直妹も欲しかったから、あんたの好きはとことん応援するよ」
そうやって、花のように笑ってくれて嬉しかった。
それから、死に物狂いでメイクやハンドメイドなどを勉強して
今のお店「ジューク」を出店した。
好きなファッションやメイクがあるけどそれを表現できない人が
ありのままを表現できるように手助けがしたい。
そんな思いで始めたお店は、今や世間に受け入れられつつある。
私は、これからも「好き」を生き続ける。
誰かの「好き」も応援し続ける。
あの日肯定してくれたあの人のようにーー
ーー終